聖霊降臨後第23主日「油を絶やすな」アモ5:21-27, マタ 25:1-13(2020年11月8日)

父と子と聖霊の御名によって アーメン。

 

 秋もずいぶん深まってきました。先週は私たちの信仰の先輩達の生き様を振り返り、偲ぶ、諸聖徒日を終えることが出来ました。 

アメリカの大統領選挙も混迷を深めています。民主主義はすばらしいのですが、そのマイナス面が出ている気がします。一方、私たちの日本を振り返ったとき、日本学術会議の任命の問題や森友問題、加計学園問題を見ると、日本の民主主義はどうなっているのか考えさせられます。

 

 本日の旧約聖書の日課では「アモス書」が読まれました。ソロモン王によって繁栄を極めたイスラエル王国が南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂後、北イスラエル王国は一時的に繁栄します。その繁栄は抑圧差別されている人たちの犠牲の上に成り立っていたのです。この構造は現代の社会と変わりません。その中で、アモスは敢然と社会批判(3・9~15)と宗教批判(5・21~27)を行います。国家権力と宗教権威に対決するのです。

「21 わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。22 たとえ、焼き尽くす献げ物をわたしにささげても、穀物の献げ物をささげても、わたしは受け入れず、 肥えた動物の献げ物も顧みない。23 お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。24 正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。」

 盛大な祭儀も、虚礼に過ぎない。正義なくしては虚飾に過ぎない、ということです。出エジプト時代の荒れ野での真摯な生活を思い出せ。これが、アモスの預言の核心です。

 

 さて今日の福音書はイエス・キリストの再臨の時期をめぐって、私たちはどの様に準備をしたら良いかが譬えを使って語られました。

 婚礼での出来事が譬えに使われています。

 ユダヤでは婚宴は通常、夜開かれます。婚礼の客は花嫁の家で接待を受けながら、花婿が来るのを花嫁とともに待っています。花婿は花嫁を迎えに来るのです。花婿が到着すると灯火を明るくともして歓迎するのです。そして花婿と花嫁は客と一緒に祝いの行列をつくって花婿の父の家に行き、そこで本格的な祝宴となるのです。

 

 譬えに登場するおとめたちは、花婿が来るとき、婚宴の広間や行列の道中を明るく照らすため、たいまつと油をもって花嫁の家で待っているのですが、あまりに花婿が遅いので居眠りしてしまいます。賢いおとめも、愚かなおとめも眠ってしまうのです。

 この譬えは居眠りをしたことが問題ではないのです。問題は油です。油の松明(たいまつ)は15分位しか保ちません。補充の油が必要だったのです。賢いおとめはその事を考え、補充用の油を準備していました。愚かなおとめは、準備をしていなくて、あわてて店に買いに行っている間に花婿が到着してしまったのでした。

 

 ここで花婿は再臨のイエス・キリストを表わしています。

 「マタイによる福音書」が書かれた時代には終末が遅れていることに失望する人達がいました。イエスを救い主だと信じた人達は自分たちが生きているときに、すぐに再臨の時が来ると考えていました。それが希望となって様々な迫害に耐えることが出来たのでした。ところがなかなか終末は来ません。自暴自棄になって自分勝手な生活に陥る人達もいたようです。

 それに対して「マタイによる福音書」の記者は備えの必要をイエス・キリストの譬えを通して人々に説いたのでした。

 

  ミレニアム(千年紀)すなわち2000年になるときに世界で様々な問題が起きました。韓国のキリスト教を名乗るある教派は、「2000年になったら終末になりイエス・キリストが再臨される。」と宣言しました。その教派の信徒たちは持ち物を売り払って教会に集まり2000年を待ちました。しかし何事も起こりません。信徒達は指導者に「嘘つき。どうしてくれるのだ」とくってかかりました。その様子がテレビ中継でありました。

 

 イエスは「いつその日が来るかは分からない。いつ来ても良いように備えることが必要なのだ」と言っておられるのです。

 その時まで、灯火を掲げて置くことが出来る様に油を準備しなさいと言われるのです。その油は自分自身で見つけて集めたものでなくてはなりません。他人の油を借りるわけにはいかないのです。

 その油を集めるだけではなく、その油を灯りとして使い、周りの人々や暗闇を照らすために使わなくてはなりません。それも惜しみなく使わなくてはならないのです。

  その使い道の方向は、アモスの言う「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。」なのです。

 

 皆さんは油の入れ物をお持ちですか?その中にはどれ位油が入っていますか?その油を使っていますか?

 再臨の時、自分自身が集めた油で、どれだけ周りを明るく照らしたかが問われるのです。