顕現後第2主日「来なさい。そうすれば分かる。」ヨハネ1:29-41(2020年1月19日)

    ずいぶん寒くなりました。でもいつもの冬とは少し違うなと思います。北海道では雪祭りが出来ないほど雪が少ないのだそうです。私たちの高度化された生活のために地球が温暖化していると警鐘が鳴らされています。神様は私たちに地球の管理を任されました。その責任を私たちは果たす必要があります。

 

    さて今日の福音書では「ヨハネによる福音書」が読まれました。
まず、「ヨハネによる福音書」が書かれた背景を見てみましょう。

 

    主イエスの十字架(紀元30年頃)の後、ローマの圧政に苦しんでいたユダヤ人たちは、ローマ帝国からの解放を求めて立ち上がります。いわゆるユダヤ戦争(66年~70年)が起こりますが、ユダヤ人側の敗退に終わり、ユダヤ教はエルサレムの神殿を失います。これにより神殿の祭司を務めていたサドカイ派と呼ばれている人たちは消滅してしまいます。神殿を失い、拠(よ)り所(どころ)がなくなったユダヤ教の人々は、再建のためファリサイ派の人々を中心にして、ヤムニアという場所で宗教会議を開きます。そこで39の文書を旧約聖書の正典として定めました。またその会議でキリスト教を異端として宣言して、シナゴーク(ユダヤ教の会堂)から追放しました(90~100年)。その結果、ほとんどのユダヤ人キリスト者は、ユダヤ教に戻っていったと言われています。
 その危機感の中で「ヨハネ福音書」の著者は、主イエスこそが「救い主キリスト」である事を明らかにしていくのです。時代が時代だけに、はっきりと言えない部分もあり、言葉を選びながら、脱退していくクリスチャンに、戻るように呼び掛けたのが「ヨハネの福音書」だと言われています。

 

    さて本日の福音書の箇所に話を戻しましょう。
以前にもお話ししましたように、顕現節の顕現(はっきりと姿を現わすこと)には二つの意味があります。一つ目の顕現は神の子としてこの世に来られた主イエスであり、もう一つの顕現は、神の国の到来と共に再臨されるイエス・キリストです。
 今日の福音書では主イエスの第一の顕現が示されています。
ヨハネは近づいてこられる主イエスを見て、はっきりと「この主イエスこそが世の罪を除く私たちのために犠牲になられた『神の子羊』だ」と理解するのです。
 さらにヨハネは「主イエスのことは良く知らなかったけれど、聖霊が鳩のように天から降(くだ)ってくるのが見えた。だから私はこの方を『神の子』と証(あかし)したのです。」とはっきり証言します。
 その翌日、ヨハネは主イエスを見て、自分の弟子たちに「見なさい、あの方が『神の子羊』だ!」と断言します。二人の弟子は自分たちの師であるヨハネの言葉で、主イエスに従うのです。
 さらに弟子たちは「ラビ(先生)はどこに泊まっておられるのですか?」と尋ねます。この「泊まって」のギリシャ語はmenw(メヌー)です。「留(とど)まる」という意味もあります。宿泊の場所を訪ねているだけではなく、「神の救いの計画の中で主イエスがどういう位置に留(とど)まっている人」なのかということを主イエスに尋ねたのでした。二人は主イエスの真実を知り、主イエスこそが「メシア(油注がれた者)」である事を確認したのでした。
 主イエスは「世の罪を除く神の子羊」であり、「神の子」であり、「メシア」であることを、はっきり示されたのです。イエスの第一の顕現がここになされたのです。

 

    さて私たちは、いつの日か、第二の顕現を体験することになるのですが、イエス・キリストの再臨に対して、ヨハネやヨハネの弟子たちのように主イエスを「神の子羊」、「神の子」、「メシア」と見分けることが出来るでしょうか?

 

    「水戸黄門」の番組を見ていると,町中の人々や、武士たちは水戸光圀である事を見分けることが出来ません。だいたい終わりの10分ぐらいになって、「この印籠(いんろう)が目に入らぬか」という決めぜりふによって皆が気づくのです。

 

    私たちはどうでしょうか?再臨のイエス・キリストを見分ける事が出来るでしょうか?

 

    今日の福音書では見分ける方法が記されています。
 まずは、洗礼者ヨハネと主イエスの出会いのように、主イエスの方から近づいてこられることが分かります。
 そして、「来なさい。そうすれば分かる。」と言われるのです。その言葉に、私たちが主イエスを見失わないように、しっかりとついて行くとき、主イエスは私たちの心の中に入られ、私たちは主イエスを「メシア」と確認することが出来るのです。

 

    主イエスをメシアと確認できたアンデレは、そのことを自分の兄弟シモン・ペトロに「いまメシアに出会ったよ!」と喜びと共に伝えました。私たちも主イエスを「メシア(油注がれた者)」、「キリスト(救い主)」と確信できた時、その喜びを周りの人に伝える者でもありたいです。

 

    新しい1年が始まったばかりです。今年もまたいろいろなことが起きるでしょう。しかし、心を騒がせずに、しっかりと主イエスの背中を見据えて、迷子にならないように後に従っていきましょう。