降誕後第2主日「神の声に聞き従う」マタイ2:13-15,19-23(2022年1月2日)

父と子と聖霊のみ名によって アーメン                                                       

 新しい年を皆さんいかが過ごされたでしょうか?親類が集まって楽しい一時を過された方もいらっしゃると思います。

 私も久しぶりに家族との交わりの時を過ごすことが出来ました。親しい交わりの中で元気をもらった気がします。

 

 降誕日もあっという間に過ぎて顕現日か近づいてきました。顕現とはイエス・キリストが異邦人の占星術師の前に姿を現わされたと言う意味です。その日が1月6日と定められています。

 

 本日の福音書では時間的に逆になりますが、その後のことが読まれました。

 ヨセフは主の天使のお告げによって、「ヘロデ王が命を狙っている」こと知りエジプトへ避難することになります。

 生まれたばかりの乳飲み子を抱えて旅をするわけですから、ベツレヘムへの旅と同じように大変な旅だったと思われます。小さな乳飲み子が一人増えていますから、乳を与え、泊まるところを探すだけでもヨセフやマリアにとっては大変だったと思います。

 聖書の通り日付を追ってみますと、生まれて8日目に命名と割礼があり、13日目に三人の占星術師が訪ねてきますが、その直後に主の天使のお告げがあったことになっていますので、生後14日目ぐらいだったのではないでしょうか?

 本日の福音書では16節から18節までが省かれていますが、ここではヘロデ王の命令でベツレヘム近辺の子ども達が殺された事が書かれています。史実としては疑わしい様ですが、ヘロデ王はそれくらい残忍だったと言われています。

 

 ここで一家がなぜエジプトに行かねばならなかったかというと、ヘロデの残忍さと同時に、旧約聖書の預言が実現されねばならなかったからです。

 

 かつてイスラエルの民は苦難の地であるエジプトから、モーセに導かれて脱出できました。主イエスの時代のイスラエルの人々にもその事が強く言い伝えられていました。「最後の救済者の時も最初の救済者(モーセ)の時と同じになるだろう」と言う伝承も伝えられていました。

 

 ここで福音記者がはっきり示したかったのは、15節の「『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」つまり主イエスが神の子であると言うことが、旧約聖書の預言通りに成立したと言うことなのです。

 

 ヘロデは紀元前4年に亡くなります。その遺言によってイスラエルが三人の息子達(アンティパス、フィリポ、アルケラオ)に分割されるのです。ここに出てくるアルケラオもユダヤ地方の統治を任されますが、残忍な統治者で10年後にはローマによってガリアに追放されました。

 

 このアルケラオのために主イエスはナザレの村に戻り、そこで青年期まで過ごされることになったのです。しかしこのことも既に旧約聖書には預言されていたことでした。

 イエス・キリストがイスラエルの中心部に住むのではなく、周辺部に住まわれたことは、救われる人々がイスラエルの民だけではなく、異邦人(外国人)にまで拡がって行くことを意味しているのです。

 

 その事がヨセフとマリアには充分に理解されていなかったと思いますが、ヨセフの決断と行動力は、神への信頼がなければあり得ないことでした。

 

 私たちも自分の考えも及ばない所に住むことになる事があります。しかしそれも長い目で見ると神様のなさったことである事が分かってきます。

 ヨセフは神のみ言葉に従いながら、身重のマリアをナザレからベツレヘムへ伴い、また産後のマリアをエジプトへ避難させたのでした。移動の間に起こることも心配でしたがヨセフとマリアは神のみ言葉を信じて移動したのです。

 

 私たちもこれから始まる1年間を、ヨセフとマリアの信仰に倣いながら、神のみ言葉に従いながら、主イエスを神の子として生活の中心にした信仰生活を送りたいものです。

 

「エジプトへの逃避」ヴィットーレ・カルパッチョ