被献日「世の人の重荷を担える教会を目指して」(小林史明司祭)(2020年2月2日)

今日は、2月2日、被献日です。イエス様が生まれて40日目にエルサレムの神殿に宮参りに行ったことを記念する日です。「被献日」これは“ささげられた日”という意味ですが、このような呼び方になったのは、最近らしく、以前は「被潔日」(被献日の真ん中の「ささげる」という字の変わりに、「清潔」とか「潔癖」の潔という字が当てられて、イエス様がささげられたことより、マリヤさんの清めの日が来て、宮参りが許されたことに重点が置かれていたようで す。上はそのシンボルの絵です。神殿に献げる二羽の鳩と、洗う器でしょうか。
 
それで、日本聖公会では、1926年と言いますから今から94年前のことですが、総会でこの日を婦人会の創立記念日と定めました。それで、被献日は婦人会の日という風に受け取られています。
 
東方正教会では、この日を「主の迎接祭」と呼んでいるようです。エルサレムの神殿に、イエス様が連れてこられた時、シメオンがイエス様を迎えて抱いて、救い主が到来したことを神様に感謝したことをお祝いするのです。この日は、西側のカトリック教会などでも祝われるようになりました。カトリックでは「聖母マリヤのお清めの日」と呼んだり、また「聖燭祭」とも呼んでいるそうです。そこで強調されたのは、シメオンが、イエス様のことを「異邦人を照らす啓示の光」と言ったということから、この祝日には、火をともして、ローソクを持った人々が行進するような、ローソクの聖餐式(キャンドルマ ス)とも呼ばれるようになったそうです。
 
最近、聖公会の中でも、この祝日にローソクをともした行列をして、聖餐式をする礼拝が復活するよう になりました。
 
この被献日は、イエス様に焦点を当てるか、マリヤさんに焦点を当てるか、あるいは救い主に接した、シメオンに焦点を当てるかで、祝日の名称も変わってくるのが、面白いところでしょう。
 
さて、その被献日の聖書の方に目を向けたいのですが、今日の福音書は、幼子のイエス様が、モーセの律法に従って、「主のために聖別される」という目的で、神殿に連れて来られた場面です。ここでシメオンは、「これは神の救いだ」と言って、シメオンの賛歌を歌います。「イエス」という名前自体が「神は救い」という意味なんですが、それをもとにして、夕の礼拝などで歌う「シメオンの賛歌」(ヌンク・ ディミティス)とラテン語では言うようですが、それを唱えます。
 
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。  2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、 2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」
 
このシメオンの賛歌は、自分の生きてきた目的が達成された、という喜びで、「もう、いつ死んでもか まわない。私は満足しています。」という意味が込められています。

 

私が子どもの頃から世話になっていた牧師さんが亡くなった時、お葬式が終わって棺を礼拝堂から出す時、みんなで文語の「シメオンの頒」を唱えたのを覚えています。そして、先日、宮崎の教会の人が亡くなりましたが、棺に花などを入れて、式場から出て行く暗も、シメオンの賛歌を唱えました。

 

自分が死ぬ時、このシメオンのように「私は、生きる目的を見つけ、それが達成されたことに満足しています。どうぞ、今こそ私をあなたの元へ召してくださいし。」と言えるようになりたいと思います。

 

今日、読んでいただいた旧約は、マラキ書という旧約の最後の書物で、最後の章の冒頭部分でした。1節の3行目に「あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる」という言葉が出てきましたが、今まさに、「異邦人を照らす光、御民イスラエルの栄光」であるイエス様が、両親に連れられて、エルサレムの神殿に現れた。」という形で、旧約の預言が実現した、と語っているのでしょう。

 

シメオンは、自分が抱いている幼子が、「異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れ」という確信を持てたのだろうと思います。

 

ところが、その後で、シメオンは、母であるマリアさんに、将来イエス様が十字架に架かられることを告げる、不思議なことばを語るわけです.


2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。2:35-あなた自身も剣で心を刺し貫かれます- 多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

 

これは、イエス様とその母であるマリアさんが、決して楽しいだけの生活をするのではなく、波乱万丈、大変な苦しみを負うことになる、と預言しているのです。

 

そして、今日、何よりも私たちが学ばなければならないことは、使徒書ではないか、と思います。ここには、イエス様が、神の子でありながら、本当の人間の姿になって、人としてあらゆるものを経験し、さらに十字架こよって、人間の罪を贖った、大祭司だ、と言っているところです。

 

特に印象に残ったのは、最後の18節です。ここは、たまたま先月のここでの説教でも引用しましたが、「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」

 

この言葉が、今、私には、一番の救いになるように思えます。善いサマリア人のたとえのことを思い出します。道で半殺しの状態で倒れている人の前を、祭司とかレビ人は通り過ぎて行きました。社会の中で尊敬されている人には、人を助けることができない。彼らは、人を傷つけることはあっても、傷つけられる経験がなかったのです。ところが、そこに、みんなから嫌われて、小さくなって生活しているサマリア人が通りかかります。すると彼は、自分の予定を変更してまで、傷ついた人を助けます。

 

どうして、サマリア人にはそのような行動ができたのでしょうか?

 

いつも、傷つきながら生活しているサマリア人には、同じように傷ついている人を見過ごしにできなかった。人の痛みが、自分の体にじられる、そんな感性が育っていた、ということだと思います。

 

強い人が弱い人を助けることはできないのだ。弱い人にこそ、弱い人を助ける力がある。もっと言えば、弱い人の上に、神様の力が働くのだ、ということでしょう。

 

昨年の終わりに、日本にやって来たカトリックのフランシスコ教皇を思い出します。

 

彼が就任したすぐ後に、6年前でしたが、中央公論1月号「特集・誰のための宗教」の中で、教皇フランシスコは「教会は野戦病院であれ」と現在の最優先課題を提案していました。『教会が今日最も必要としていることは、傷を癒す能力です。信ずる人たちの心を温める力です。身近さと親しさです。教会は戦闘後方の野戦病院だと思います。重い傷を受けた人に、コレステロールや血糖値を尋ねるほど無意味なことはありません。』

 

やみくもに働くのではなく、わたしたちは社会の中で、元気を失った人たちを迎えて、心を温めることができる教会になることが大切でしょう。

 

人々の痛みを感じられる者として、癒しをもたらせる教会になりたいと思います。